こんにちは、組織・人事コンサルタント i-colorカウンセラーの乾 千恵(i-colorイエロー)です。

 

今年のN〇K大河ドラマ「西郷どん!」も佳境に入ってきました。今までの話は、ここからの西郷隆盛と大久保利通の関係性を示し、悲劇的な決別を描くための伏線という見方もできるので、今回はどのように描かれるのかワクワクしています。

 

さて、今回の主人公は、西郷どんの相棒 大久保利通です。

 

大久保利通と言えば、「西郷さんを殺した人」「鹿児島を裏切った」「薄情な人」など、あまり良い言葉で印象を語られないようです。

 

そんな大久保利通も若かりし頃は、薩摩藩内のお家騒動に巻き込まれ、長い謹慎生活を送っていました。謹慎が明けても、兄貴 西郷どんは島流し、周りに頼れる人がいない状況でした。
道を切り開くための手段として、藩主の父 島津久光公に近づく方法を思案します。囲碁が好きだという情報を入手すると、囲碁の相手が誰なのか探り当て、囲碁の相手のところに出入りし、久光公と出会う機会を作ったのです。自分の出世の道を切り開くのみならず、西郷さんを島から呼び戻すことに成功、久光公に一世一代の大舞台を用意します。
余談ですが、京へ出かけた久光公は、そのまま江戸に向かい、意気揚々と鹿児島に帰る途中、生麦事件を引き起こします。そして西郷さんは京に出かけるとき、久光の命令を守らなかったので二度目の島流しになります。

 

やがて、大久保は、西郷さんを再び島から呼び戻すことに成功し、薩摩藩の中心人物の一人として明治維新を成し遂げます。

徳川幕府時代を終わらせる「スクラップ」を西郷さんが、新しい明治の新国家樹立「ビルド」を大久保が担いました。

 

西郷さんと共に倒幕に突き進んでいたころは、薩摩藩が徳川幕府に変わって政権を取ることを考えていたようですが、薩摩藩を出て、京都や江戸で様々な人物と意見交換をするうちに「薩摩とか長州という単位ではなく、日本国で考えなければ」という思考に変化していき、早くから天皇を中心とした国家の樹立を描いていたようです。大久保は、新しい政府には税収権限がなく財政がひっ迫していること、政治に公家たちが余計な口出しをするので、都を京都から大阪に遷すことを画策していました。ところが、これは徳川時代が終わったことを強烈にアピールしたい人たちによって却下され、天皇は江戸に仮住まうことになりました。(江戸、東京への遷都は宣言されていないのです)

 

他にも「版籍奉還」「廃藩置県」「散髪脱刀令」など旧大名の権限や武士らしさをことごとく排除していきました。しかもこれらを淡々と着々と進めるものだから、鹿児島の仲間ウケが悪いのなんの。

 

そして、明治4年11月に岩倉具視、木戸孝允(桂小五郎)などと共に欧米使節団の一員として約2年間も日本を留守にしました。
アメリカやドイツ、イギリスで世界の列強各国を視察する中で、いかに日本が世界から取り残されているかを痛感し、まずは国力を強化しなければならない、「殖産興業」「富国強兵」が急務であると鼻息荒く帰国します。 と、本人は思っていますが、欧米使節団の本来の目的は、徳川幕府が締結した各国との不平等条約の改正、議論だったので本来の成果はゼロなのです。

 

岩倉や大久保が日本を留守にしている間、日本では特権(プライド)をはく奪された士族たちの不満が拡大、また政府内でも土佐の後藤象二郎、佐賀の江藤新平、大隈重信を中心に反薩摩&長州勢力が力をつけてきていました。 大久保は、徳川幕府を潰すために払った犠牲の大きさを考えると、新しい政府の中心は薩摩と長州でなければならないと考えていたところがあり、江藤新平や後藤象二郎に政府の中心を奪われないよう、彼らのお目付け役として西郷さんを政府の中心に据えて、海外視察に出かけていたのです。
帰国してみると、西郷さんや江藤新平、後藤象二郎たちは朝鮮への使節派遣で話が盛り上がっていました。当時、朝鮮半島のすぐ北側にはロシアが侵攻を進めており、このまま朝鮮を放置しておくとロシアに飲み込まれる危機が迫っていました。そのため、西郷さんたちは朝鮮に使節を派遣して、ロシアが簡単に侵攻できない状況をつくろうとしていました。これには膨大な軍費が掛かることは明白でした。税収もままならない状況を鑑み、大久保たち欧米に行っていたメンバーは大反対します。 その結果、西郷さんと大久保は決別し、西南戦争になだれ込んでいきます。

 

大久保は、ドイツやイギリス、アメリカの国力を直に見てきたので、ロシアの国力は推して図るべしという考え方でした。そのため、中途半端に朝鮮に介入したら泥沼に引き込まれると考えていたようです。一方の西郷さんは、日本にいるので世界の様子は見えません。西郷さんに見えるのは、目の前にいる働き場がなくて生活に困窮する士族たちでした。

 

世界を見て世界と対比して何をすべきかを考えた 政治家の大久保利通と、目の前にいる仲間に寄り添い続けた 人情家の西郷隆盛との決別は避けて通れませんでした。

広い視野を持ったがゆえに、兄貴分 西郷さんのやり方では温いと感じてしまったのかもしれません。

 

大久保利通は、i-color診断の3つのタイプでは「表現」タイプに分類されると推察します。自分がこうだ!と信じた道をひたすらに実直に進んでいくタイプです。目標を設定したら、自力で突き進んでいくことができるタイプです。
「西郷さんを殺した」とか「鹿児島を裏切った」とか「冷酷、冷徹」とか言われても、心悩ますことはなくて、本人は目標達成のためには「情なんて不要」「西郷さんを殺すつもりはなかったけど、仕方ない」と割り切っていたかもしれません。

 

もし、私たちに本当に実現したいこと、成し遂げたいことがあるのだとしたら、大久保利通のように

徹底した「感情コントロール」が求められるのかもしれませんね。