親から褒められたことがないーー。

 

そう思い込んでいる大人は少なくない。

 

「思い込んでいる」、と言ったのは、i-color(素質)を知ることで、実は親は褒めていた(つもりだった)ということに気づく人が多いからだ。

 

素質によって褒め方は大きく変わる。

 

自分と親の素質が違うと、褒められていたけどまったく届いていなかった、という現象が起こる。

 

何を隠そう私も、この罠にハマっていた一人である。

 

子どもの頃、エレクトーン教室に通っていた。グループレッスンだったのだが、私がエレクトーンを弾いていると、隣に座っていた母が音量を絞った。

 

「私が下手くそだから音を小さくしたんだ」

 

そう思った。

 

エレクトーンを弾くのは大好きだったが、発表会など事あるごとに、この時に刺さった棘が疼き出す。この棘は母との関係の中でどんどん深く刺さっていき、いつしか「お母さんは私を認めていない」の象徴となり、エレクトーンを辞めてからも私を苦しめた。

 

息子が生まれて2歳になった時、かつて自分も通っていた音楽教室へ入会させることにした。そのことを母に話すと、

 

「あなたがエレクトーン上手だから、お母さん鼻が高かったのよ」

 

と、言い出した。はあ? である。そのセリフ、小学生の時に聞きたかったわ…。

 

 

放任主義の母親とかまってちゃんの娘。ああ悲しきすれ違い

 

 

母のi-colorはゴールド。自分の決めた目標を自分のアイディアで超絶マイペースに成し遂げていくことに悦びがあるタイプ。ペースを乱されるのが苦手だから、自分も人に対して邪魔しないのが信条。

 

一方、私のi-colorはオリーブで、このタイプの子どもたちは人との関わりの中で安心してチャレンジできる。気持ちに寄り添ってもらえるとやる気が持続しやすい。

 

もうお気づきの通り、放任主義の母親に、かまってちゃんの私、という構図。うちの母は自分のことで忙しい人だったため、特に「放っておく」が極まっていて、母は私に興味がない(認めていない)んだと思い込んでいた。

 

 

何をプレゼントしても喜ばない母を統計心理学で攻略

 

 

母と私の素質の違いといえば他にも。

 

母の素質は「こだわりがピンポイント」という特徴がある。この素質の人が買い物をする時、少しの妥協もしない。たとえタダでくれると言われても断る。

 

たとえば、小学生になった息子(ゴールド)に自転車を買ってあげようと持ちかけたが、「お兄ちゃんの自転車が欲しい」の一点張り。仕方なく、お兄ちゃんが新車を買い(ラッキー)、弟はお兄ちゃんのお下りに乗っている、なんてエピソードは枚挙にいとまがない。

 

そんなゴールドな母の誕生日、ゴルフが趣味の母にポロシャツをプレゼントしたことがあった。包みを開けると、第一声「なんでこの色にした?」。

 

一事が万事、母へのプレゼントで喜ばれたことがなかった。いつしか、夕飯をご馳走するなど「消えもの」でお茶を濁すようになった。

 

そんな私だったが、ついに30代後半、統計心理学との出会いでパラダイムシフトが起こる。

 

母の素質タイプに贈り物をするならば、欲しいものを型番レベルまで聞くのが正解だ。半信半疑だったが母に欲しいものを聞き、ご所望のウエストポーチをプレゼントすると、擦り切れるまで使ってくれた。アンビリバボー。

 

 

親だって子どもの発言に傷ついている

 

 

先日、統計心理学カウンセラーのMちゃんは、父親に自分との素質の違いを話したらしい。父親は好奇心旺盛なイケイケタイプ。娘は石橋を叩くリスクヘッジタイプ。家族旅行のプランを楽しそうに話すお父さんに、娘は自分に見えている不安点を伝える。父親は娘はなぜ自分にダメ出しばかりしてくるのだろうと悲しんでいた。

 

が、娘はただ自分が見えていることを大切な家族に伝えているだけだった。伝えなければ守れないから。それはダメ出しではなく愛だったのだと父親は気づいた。

 

翌朝、父は娘の車に積もった雪を頼んでもいないのにせっせと下ろしていたという(雪国在住)。よっぽど嬉しかったのだろう(娘談)。

 

私が愛して欲しいようには愛されなかったが、私は確かに愛されていた

 

2024年1月7日。母、85歳で虹の橋を渡った。

 

生前、「アタシはピンピンコロリで逝くから」と宣言していた。

 

そんな都合よくいかないでしょ、と返していたが、1月2日に入院し7日に旅立った母。ほぼ宣言通り。アッパレである。

 

病院から容体が急変したと連絡あって、息子とつっちーも連れて急いで駆けつけたが、間に合わなかった。ほんの数分前に息を引き取ったという。

 

思わず、「待たんのかい!」と、ツッコミを入れてしまった。

 

が、死の淵から生還した知り合いが、三途の川を渡る時、とてつもない多幸感に包まれたと話していたことを思い出す。超〜〜〜マイペースな母のこと。この素晴らしい瞬間を誰にも邪魔されることなく満喫したんだろう。実に母らしい最期だったと思う。

 

ちなみに、エレクトーンのボリュームを絞った件については、母と同じi-colorゴールドたちが「他のエレクトーンより音が大きすぎただけでは」と言う。確かにそうだったのかもしれない。勝手に物語を作って、勝手に傷ついていたのかも。

 

大なり小なり、私たちは見たいようにしか世の中を見ていないものだ。なら、少しでも幸せな思い込みをしたいよね。統計心理学はその一助となる。

 

17年前、統計心理学と出会って一番救われたのは私自身だ。

 

自分の死期を悟っていたのか、母の部屋にもクローゼットにもほとんど物がなかった。読書好きな母だったが、すべて処分したらしい。書棚には娘(私)の著書だけが飾られていて、私は泣いた。

 

私が愛して欲しいようには愛してくれなかったけど、確かに、私は愛されていた。そのことを、私はもっと早くに知りたかったし、私のような人がいるなら早く知ってほしいと思っている。

 

もし、あなたが、親との関係に悩みがあるなら、素質というメガネで関係を見直してみよう。きっと新しい物語が始まるはずだ。

 

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