仕事をしながら子育てをしていると、
時々「何で子どもを保育園に預けて、仕事をしているんだろう」と思うことがありました。

仕事と子どもたちのことなどやることが多くていっぱいいっぱいになった時
保育園に子どもを預ける際に泣かれたとき

↓ 以前こちらにも書いています。

http://happycareer.jp/shiruru/6041/

私が仕事を続ける事について、一番葛藤したのは
2011年(平成23年)3月11日東日本大震災の時

 

地震があった時、私は羽田空港近くの店舗に居ました。

 

建物から出て、地面から直接身体に感じる地震の震動
建物の5階駐車場に止まっている大型トラックが倒れそうになるくらいの大きな揺れ
避雷針が大きく揺れ今にも折れそうな様子を見て、
自分が体験していながらも

 

現実に起きている事なのかが、理解しきれていない自分がいたのを覚えています。

 

こちらからかける携帯電話はつながらず、
会社の電話で、保育園に連絡すると、幸いすぐに電話がつながり、
子どもたちが安全であること、祖母が迎えに来てくれて帰宅していることを知り、
一安心。

 

その後、夫とも連絡が取れ、夫が家に帰宅し、子どもと一緒に居る事が確認できたので、
私は落ち着いてから家に帰ることにしていました。

4時半頃、遠方(神奈川方面)のメンバーは残っていた車で先に帰宅することに。
(この時間に出たメンバーが、家に帰れたのは翌日2時過ぎ)
私は、他の営業車が戻ってきたら、帰ることにしていました。

 

車で出ている営業がなかなか戻ってこず、
やっと戻ってきた営業から
「いつも5分の道が今日は1時間以上かかってます。 今日、車移動はやめた方がいいと思います」と言われ、電車も止まっていたので、今日は帰れないかと思っていましたが
22時頃、一部地下鉄が動きはじめたので、動いている地下鉄駅へ向かうために
同僚2人と歩いて移動することにしました。
途中、コンビニには食べ物がなく、大通りでは車は全然動かず、
歩道は歩く人であふれていました。

 

約4時間歩いて地下鉄駅へ
思ったよりも電車が空いていて、ホッとしたものの、
乗り換え駅に着くと、そこは人であふれていて、私が乗りたい方面は入場規制され、
ホームにも入れず
「ここまで来たけど、いつ電車に乗れるんだろう」と思っていると
同僚が「ここで待っているより、逆方面の電車に乗ってどこかで戻ってきた方が
早く帰れるんじゃない?」の言葉で
逆方向の電車に乗り、途中で戻ってくるという方法で最寄り駅に着く事ができました。
家に着いたのは、午前3時半でした。

 

震災が金曜日だったので、土日は休めましたが、
週明けから会社では、今までにない対応に追われ異様な雰囲気

 

いつもと違う雰囲気の中、私の業務をしていましたが、
私にはもう1つやらなければいけないことがあり、これが私を苦しめました。

 

1週間後に控えていた、管理職研修取組成果の練習
私の上司は大阪
上司は成果練習に時間を確保してくれて、練習を繰り返していました。

 

上司が私のことを想って、
練習に付き合ってくれていることはわかっているものの
計画停電でパソコンを使えない時間があるかもしれない
営業車のガソリンを入れるのに2時間待ち
配送トラックの軽油が盗まれた
などなど、非日常的な出来事が次々と起こる中で、
「何で私は研修の練習をしないといけないんだろう」と思ってました。

 

そして、
「こちらが通常の状態でないことは、大阪もわかっているから
 研修もなくなるはず」とも思っていました。
ただ、研修がなくなるという連絡はなく、一日、一日と過ぎていきました。

 

もし、この研修が私が参加するのではなく、
私の同僚が参加する研修だったら
「今は、研修なんかに参加できるような状態ではないので、研修日程を変更するか
 次回の研修に参加させてください」と私が上司に交渉していました。

 

上司も私のためにサポートしてくれている状況で研修には参加できませんと
言い出せなかった私

 

大阪へ研修に行く2日前の夜
家で子どもたちと寝ようとベッドに居た時に
久しぶりに、大きな余震がありました。
震災の時には、私は子どもと一緒には居なかったので、その時の様子は
保育士さんから
「お昼寝が終わる頃だったので、子どもたしは布団を被って、怖がってはいなかったですよ」と聴いていました。

 

この余震の時、
子どもたちは2人ともすごく怖がって、私にしがみついてきました。
子どもたちの怖がってる姿を目の当たりにして、
「今、歩いて帰ることができない場所に行くことはできない」と思いました。
震災の日も、遅くはなったものの何とか家には帰ることができました。
でも、大阪では、歩いて帰る事ができません。

 

翌日、上司に
「震災後の非日常が続いているこの状態で、大阪へ研修参加することはできません」と伝えました。
この時、私以外にも3人東京から研修に参加する予定のメンバーが居たのですが、
私も含めみんな研修には参加しなくてよいことになりました。

 

震災後、周りのワーキングマザーが仕事を辞めて地元に帰ったり、
職住近接のため、職場を変えたり
私自身の震災後の出来事などで、
何かあってもすぐには子どもたちのそばに居る事ができないという状況になるのに、
このまま仕事を続けないといけないんだろうか?
と仕事を続ける事についての葛藤がすごくありました。

 

震災後の事を今振り返ってみると、

上司が研修サポートしてくれている期待に応えたい

・自分自身がどう感じていて、どうしたいかということに気付けない。

・上司の想いを察するあまり、自分の思いを言い出せない

・自分の事だと言えないけど、他の人が想っていることについては察して対応する。

というところはi-colorブルーだからなのかな?と思っています。

 

仕事を続けることについは、
私にしては珍しく1年くらい考えていたと思います。
仕事を続けていこうと思えたのは、その時の自分の感情を否定せず
変化を受け入れることができたからだと思っています。

 

自分にとっての変化を受け入れることについては、またの機会に書きたいと思います。

Shiruru
短時間勤務管理職
はぴきゃりアカデミー第8期修了/i-colorブルー。息子(小学校6年)、娘(小学校3年)を持つ40代ワーキングマザー(短時間勤務管理職)。ワーキングマザーが自分と自分の子どもについて知ることで、個性を活かす子育てができるようi-colorセミナー、i-colorカウンセリングを実施中。
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